夏祭り準備 茨木神社
暑中お見舞い申し上げます ご覧頂きましてありがとうございます
ご挨拶と感謝の為に、思い立って参拝させて頂きましたら、奇跡的なタイミングで、夏祭りのご準備中のお神輿を、ご神前に運ばれるタイミングで、普段はまずお目にかかれない、飾り付けの無い、お神輿の実像の撮影を許可頂きました。江戸中期の作品だそうです。
【茨木神社・・・ご由緒書きによると・・以下概要を要約・・807年に坂上田村麻呂が荊切の里をつくりしとき、天石門別神社が鎮座されたと伝わる。 平安時代927年編纂の「延喜式」に記載されており、当時は官幣社・・神祇官から幣帛(神様に奉納するものの総称)をを捧げられた格式高い一定の神社であったことを意味する。中世に入り、楠木正成公が当時の茨木村近くに砦を築いた後、戦国時代に城郭が整えられ、茨木村は農村集落から城下町へと変貌し、天岩門別神社も現在地へ奉遷された。茨木城主中川清秀公の崇敬篤く神領13石寄進を寄進。社伝によると高槻城主高山右近公が織田信長公に倣い、神社仏閣を焼却するに際し、信長公が天照大御神、春日大神、八幡大神及び牛頭天王(素戔嗚大神)の諸社は焼くべからずとしたので牛頭天王を祀ると詐称して焼却を免れたと伝わる。そして1622年、牛頭天王、春日大神そして八幡大神を祀る社殿を新たに築いて、本殿とし、天石門別神社を奥宮として今日に至る。】
参拝直前は雨が降っていましたが、参拝の時には雨も上がり、夏祭りの準備で、お神輿を担いだ男性が掛け声も勇ましく、本殿にお神輿を担いだ様子を拝見しました。コロナウイルスが5類に移行した今年は、お祭りが催行されるそうです。
古事記のお話の中の1つ、太陽神である、天照大御神が天の岩戸にこもってしまわれて、世の中が真っ暗になった時、八百万の神様達が集まってどうしたらよいか考え、今でいう賑やかなイベントを企画され、面白おかしく踊った女神が、天宇受売命(アメノウズメノミコト)、 賑やかさに何事かと岩戸から身を乗り出した天照大御神を怪力で表に引っ張りだされたのが、天手力男命(アメノタジカラォノミコト)ですが、この二柱の神様も、奥宮の天石別神社に祀られています。
牛頭天王・素戔嗚命といえば疫病を防ぐ神様、世の中を明るく照らす天照大御神を岩戸からお出しするのに活躍した天宇受売命、天手力男命のパワーも頂いて、世の中が、平和で明るくなるようにと心からお祈り致します。